Zitate aus dem Buch «Исповедь «неполноценного» человека / 人間失格. Книга для чтения на японском языке»

恥の多い生涯を送って来ました。 自分には、人間の生活というものが、見当→ つかないのです。自分は東北の田舎に生れ→ ましたので、汽車をはじめて見たのは、よ→ ほど大きくなってからでした。自分は停車→ 場《ていしゃじょう》

私は、その男の写真を三葉、見たことがある。 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであ→ ろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、→ その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは→ 、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹いと→ こたちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞→ の袴《はかま》 3  をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑って→ いる写真である。醜く?けれども、鈍い人たち(つま→ り、美醜《びしゅう》などに関心を持たぬ人たち)は→ 、面白くも何とも無《な》いような顔をして、 「可愛い坊ちゃんですね」 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空からお→ 世辞に聞えないくらいの、謂《い》わば通俗の「可愛→ らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけでは→ ないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての→ 訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、 「なんて、いやな子供だ」 と頗すこぶる不快そうに呟つぶやき、毛虫でも払い→ のける時のような手つきで、その写真をほうり投げる→ かも知れない。 まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど→ 、何とも