吾輩は猫である / Ваш покорный слуга кот. Книга для чтения на японском языке

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Aus der Reihe: 近現代文学
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家《うち》へ帰ると座敷の中が、いつになく春めいて主人の笑い声さえ陽気に聞える。はてなと明け放した椽側から上《あが》って主人の傍《そば》へ寄って見ると見馴れぬ客が来ている。頭を奇麗に分けて、木綿《もめん》の紋付の羽織に小倉《こくら》の袴《はかま》を着けて至極《しごく》真面目そうな書生体《しょせいてい》の男である。主人の手あぶりの角を見ると春慶塗《しゅんけいぬ》りの巻煙草《まきたばこ》入れと並んで越智東風君《おちとうふうくん》を紹介致|候《そろ》水島寒月という名刺があるので、この客の名前も、寒月君の友人であるという事も知れた。主客《しゅかく》の対話は途中からであるから前後がよく分らんが、何でも吾輩が前回に紹介した美学者迷亭君の事に関しているらしい。

「それで面白い趣向があるから是非いっしょに来いとおっしゃるので」と客は落ちついて云う。「何ですか、その西洋料理へ行って午飯《ひるめし》を食うのについて趣向があるというのですか」と主人は茶を続《つ》ぎ足して客の前へ押しやる。「さあ、その趣向というのが、その時は私にも分らなかったんですが、いずれあの方《かた》の事ですから、何か面白い種があるのだろうと思いまして……」「いっしょに行きましたか、なるほど」「ところが驚いたのです」主人はそれ見たかと云わぬばかりに、膝《ひざ》の上に乗った吾輩の頭をぽかと叩《たた》く。少し痛い。「また馬鹿な茶番見たような事なんでしょう。あの男はあれが癖でね」と急にアンドレア・デル・サルト事件を思い出す。「へへ 。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立《こんだて》を見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「誂《あつ》らえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首を捻《ひね》ってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨《かも》のロ スか小牛のチャップなどは如何《いかが》ですと云うと、先生は、そんな月並《つきなみ》を食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君|仏蘭西《フランス》や英吉利《イギリス》へ行くと随分|天明調《てんめいちょう》や万葉調《まんようちょう》が食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版で圧《お》したようで、どうも西洋料理へ這入《はい》る気がしないと云うような大気だいきえんで――全体あの方《かた》は洋行なすった事があるのですかな」「何迷亭が洋行なんかするもんですか、そりゃ金もあり、時もあり、行こうと思えばいつでも行かれるんですがね。大方これから行くつもりのところを、過去に見立てた洒落《しゃれ》なんでしょう」と主人は自分ながらうまい事を言ったつもりで誘い出し笑をする。客はさまで感服した様子もない。「そうですか、私はまたいつの間《ま》に洋行なさったかと思って、つい真面目に拝聴していました。それに見て来たようになめくじのソップの御話や蛙《かえる》のシチュの形容をなさるものですから」「そりゃ誰かに聞いたんでしょう、うそをつく事はなかなか名人ですからね」「どうもそうのようで」と花瓶《かびん》の水仙を眺める。少しく残念の気色《けしき》にも取られる。「じゃ趣向というのは、それなんですね」と主人が念を押す。「いえそれはほんの冒頭なので、本論はこれからなのです」「ふ ん」と主人は好奇的な感投詞を挟《はさ》む。「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボ くらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」「へ 、とちめんぼうは妙ですな」「ええ全く妙なのですが、先生があまり真面目だものですから、つい気がつきませんでした」とあたかも主人に向って麁忽《そこつ》を詫《わ》びているように見える。「それからどうしました」と主人は無頓着に聞く。客の謝罪には一向同情を表しておらん。「それからボイにおいトチメンボ を二人前《ににんまえ》持って来いというと、ボイがメンチボ ですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目《まじめ》な貌《かお》でメンチボ じゃないトチメンボ だと訂正されました」「なある。そのトチメンボ という料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボ だトチメンボ だとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽《こっけい》なんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボ は御生憎様《おあいにくさま》でメンチボ なら御二人前《おふたりまえ》すぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐《かい》がない。どうかトチメンボ を都合《つごう》して食わせてもらう訳《わけ》には行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」「大変トチメンボ が食いたかったと見えますね」「しばらくしてボイが出て来て真《まこと》に御生憎で、御誂《おあつらえ》ならこしらえますが少々時間がかかります、と云うと迷亭先生は落ちついたもので、どうせ我々は正月でひまなんだから、少し待って食って行こうじゃないかと云いながらポッケットから葉巻を出してぷかりぷかり吹かし始められたので、私《わたく》しも仕方がないから、懐《ふところ》から日本新聞を出して読み出しました、するとボイはまた奥へ相談に行きましたよ」「いやに手数《てすう》が掛りますな」と主人は戦争の通信を読むくらいの意気込で席を前《すす》める。「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボ の材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾《いかん》ですな、遺憾|極《きわま》るですなと調子を合せたのです」「ごもっともで」と主人が賛成する。何がごもっともだか吾輩にはわからん。「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんので、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝《ひざ》が揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着《とんじゃく》なく笑う。アンドレア・デル・サルトに罹《かか》ったのは自分一人でないと云う事を知ったので急に愉快になったものと見える。「それから二人で表へ出ると、どうだ君うまく行ったろう、橡面坊《とちめんぼう》を種に使ったところが面白かろうと大得意なんです。敬服の至りですと云って御別れしたようなものの実は午飯《ひるめし》の時刻が延びたので大変空腹になって弱りましたよ」「それは御迷惑でしたろう」と主人は始めて同情を表する。これには吾輩も異存はない。しばらく話しが途切れて吾輩の咽喉《のど》を鳴らす音が主客《しゅかく》の耳に入る。

東風君は冷めたくなった茶をぐっと飲み干して「実は今日参りましたのは、少々先生に御願があって参ったので」と改まる。「はあ、何か御用で」と主人も負けずに済《す》ます。「御承知の通り、文学美術が好きなものですから……」「結構で」と油を注《さ》す。「同志だけがよりましてせんだってから朗読会というのを組織しまして、毎月一回会合してこの方面の研究をこれから続けたいつもりで、すでに第一回は去年の暮に開いたくらいであります」「ちょっと伺っておきますが、朗読会と云うと何か節奏《ふし》でも附けて、詩歌《しいか》文章の類《るい》を読むように聞えますが、一体どんな風にやるんです」「まあ初めは古人の作からはじめて、追々《おいおい》は同人の創作なんかもやるつもりです」「古人の作というと白楽天《はくらくてん》の琵琶行《びわこう》のようなものででもあるんですか」「いいえ」「蕪村《ぶそん》の春風馬堤曲《しゅんぷうばていきょく》の種類ですか」「いいえ」「それじゃ、どんなものをやったんです」「せんだっては近松の心中物《しんじゅうもの》をやりました」「近松? あの浄瑠璃《じょうるり》の近松ですか」近松に二人はない。近松といえば戯曲家の近松に極《きま》っている。それを聞き直す主人はよほど愚《ぐ》だと思っていると、主人は何にも分らずに吾輩の頭を叮嚀《ていねい》に撫《な》でている。藪睨《やぶにら》みから惚《ほ》れられたと自認している人間もある世の中だからこのくらいの誤謬《ごびゅう》は決して驚くに足らんと撫でらるるがままにすましていた。「ええ」と答えて東風子《とうふうし》は主人の顔色を窺《うかが》う。「それじゃ一人で朗読するのですか、または役割を極《き》めてやるんですか」「役を極めて懸合《かけあい》でやって見ました。その主意はなるべく作中の人物に同情を持ってその性格を発揮するのを第一として、それに手真似や身振りを添えます。白《せりふ》はなるべくその時代の人を写し出すのが主で、御嬢さんでも丁稚《でっち》でも、その人物が出てきたようにやるんです」「じゃ、まあ芝居見たようなものじゃありませんか」「ええ衣装《いしょう》と書割《かきわり》がないくらいなものですな」「失礼ながらうまく行きますか」「まあ第一回としては成功した方だと思います」「それでこの前やったとおっしゃる心中物というと」「その、船頭が御客を乗せて芳原《よしわら》へ行く所《とこ》なんで」「大変な幕をやりましたな」と教師だけにちょっと首を傾《かたむ》ける。鼻から吹き出した日の出の煙りが耳を掠《かす》めて顔の横手へ廻る。「なあに、そんなに大変な事もないんです。登場の人物は御客と、船頭と、花魁《おいらん》と仲居《なかい》と遣手《やりて》と見番《けんばん》だけですから」と東風子は平気なものである。主人は花魁という名をきいてちょっと苦《にが》い顔をしたが、仲居、遣手、見番という術語について明瞭の智識がなかったと見えてまず質問を呈出した。「仲居というのは娼家《しょうか》の下婢《かひ》にあたるものですかな」「まだよく研究はして見ませんが仲居は茶屋の下女で、遣手というのが女部屋《おんなべや》の助役《じょやく》見たようなものだろうと思います」東風子はさっき、その人物が出て来るように仮色《こわいろ》を使うと云った癖に遣手や仲居の性格をよく解しておらんらしい。「なるほど仲居は茶屋に隷属《れいぞく》するもので、遣手は娼家に起臥《きが》する者ですね。次に見番と云うのは人間ですかまたは一定の場所を指《さ》すのですか、もし人間とすれば男ですか女ですか」「見番は何でも男の人間だと思います」「何を司《つかさ》どっているんですかな」「さあそこまではまだ調べが届いておりません。その内調べて見ましょう」これで懸合をやった日には頓珍漢《とんちんかん》なものが出来るだろうと吾輩は主人の顔をちょっと見上げた。主人は存外真面目である。「それで朗読家は君のほかにどんな人が加わったんですか」「いろいろおりました。花魁が法学士のK君でしたが、口髯《くちひげ》を生やして、女の甘ったるいせりふを使《つ》かうのですからちょっと妙でした。それにその花魁が癪《しゃく》を起すところがあるので……」「朗読でも癪を起さなくっちゃ、いけないんですか」と主人は心配そうに尋ねる。「ええとにかく表情が大事ですから」と東風子はどこまでも文芸家の気でいる。「うまく癪が起りましたか」と主人は警句を吐く。「癪だけは第一回には、ちと無理でした」と東風子も警句を吐く。「ところで君は何の役割でした」と主人が聞く。「私《わたく》しは船頭」「へ 、君が船頭」君にして船頭が務《つと》まるものなら僕にも見番くらいはやれると云ったような語気を洩《も》らす。やがて「船頭は無理でしたか」と御世辞のないところを打ち明ける。東風子は別段癪に障った様子もない。やはり沈着な口調で「その船頭でせっかくの催しも竜頭蛇尾《りゅうとうだび》に終りました。実は会場の隣りに女学生が四五人下宿していましてね、それがどうして聞いたものか、その日は朗読会があるという事を、どこかで探知して会場の窓下へ来て傍聴していたものと見えます。私《わたく》しが船頭の仮色《こわいろ》を使って、ようやく調子づいてこれなら大丈夫と思って得意にやっていると、……つまり身振りがあまり過ぎたのでしょう、今まで耐《こ》らえていた女学生が一度にわっと笑いだしたものですから、驚ろいた事も驚ろいたし、極《きま》りが悪《わ》るい事も悪るいし、それで腰を折られてから、どうしても後《あと》がつづけられないので、とうとうそれ限《ぎ》りで散会しました」第一回としては成功だと称する朗読会がこれでは、失敗はどんなものだろうと想像すると笑わずにはいられない。覚えず咽喉仏《のどぼとけ》がごろごろ鳴る。主人はいよいよ柔かに頭を撫《な》でてくれる。人を笑って可愛がられるのはありがたいが、いささか無気味なところもある。「それは飛んだ事で」と主人は正月早々|弔詞《ちょうじ》を述べている。「第二回からは、もっと奮発して盛大にやるつもりなので、今日出ましたのも全くそのためで、実は先生にも一つ御入会の上御尽力を仰ぎたいので」「僕にはとても癪なんか起せませんよ」と消極的の主人はすぐに断わりかける。「いえ、癪などは起していただかんでもよろしいので、ここに賛助員の名簿が」と云いながら紫の風呂敷から大事そうに小菊版《こぎくばん》の帳面を出す。「これへどうか御署名の上|御捺印《ごなついん》を願いたいので」と帳面を主人の膝《ひざ》の前へ開いたまま置く。見ると現今知名な文学博士、文学士連中の名が行儀よく勢揃《せいぞろい》をしている。「はあ賛成員にならん事もありませんが、どんな義務があるのですか」と牡蠣先生《かきせんせい》は掛念《けねん》の体《てい》に見える。「義務と申して別段是非願う事もないくらいで、ただ御名前だけを御記入下さって賛成の意さえ御表《おひょう》し被下《くださ》ればそれで結構です」「そんなら這入《はい》ります」と義務のかからぬ事を知るや否や主人は急に気軽になる。責任さえないと云う事が分っておれば謀叛《むほん》の連判状へでも名を書き入れますと云う顔付をする。加之《のみならず》こう知名の学者が名前を列《つら》ねている中に姓名だけでも入籍させるのは、今までこんな事に出合った事のない主人にとっては無上の光栄であるから返事の勢のあるのも無理はない。「ちょっと失敬」と主人は書斎へ印をとりに這入る。吾輩はぼたりと畳の上へ落ちる。東風子は菓子皿の中のカステラをつまんで一口に頬張《ほおば》る。モゴモゴしばらくは苦しそうである。吾輩は今朝の雑煮《ぞうに》事件をちょっと思い出す。主人が書斎から印形《いんぎょう》を持って出て来た時は、東風子の胃の中にカステラが落ちついた時であった。主人は菓子皿のカステラが一切《ひときれ》足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。

東風子が帰ってから、主人が書斎に入って机の上を見ると、いつの間《ま》にか迷亭先生の手紙が来ている。

「新年の御慶《ぎょけい》目出度《めでたく》申納候《もうしおさめそろ》。……」

いつになく出が真面目だと主人が思う。迷亭先生の手紙に真面目なのはほとんどないので、この間などは「其後《そのご》別に恋着《れんちゃく》せる婦人も無之《これなく》、いず方《かた》より艶書《えんしょ》も参らず、先《ま》ず先《ま》ず無事に消光|罷《まか》り在り候《そろ》間、乍憚《はばかりながら》御休心|可被下候《くださるべくそろ》」と云うのが来たくらいである。それに較《くら》べるとこの年始状は例外にも世間的である。

「一寸参堂仕り度《たく》候えども、大兄の消極主義に反して、出来得る限り積極的方針を以《もっ》て、此千古|未曾有《みぞう》の新年を迎うる計画故、毎日毎日目の廻る程の多忙、御推察願上|候《そろ》……」

なるほどあの男の事だから正月は遊び廻るのに忙がしいに違いないと、主人は腹の中で迷亭君に同意する。

「昨日は一刻のひまを偸《ぬす》み、東風子にトチメンボ の御馳走《ごちそう》を致さんと存じ候処《そろところ》、生憎《あいにく》材料払底の為《た》め其意を果さず、遺憾《いかん》千万に存候《ぞんじそろ》。……」

そろそろ例の通りになって来たと主人は無言で微笑する。

「明日は某男爵の歌留多会《かるたかい》、明後日は審美学協会の新年宴会、其明日は鳥部教授歓迎会、其又明日は……」

うるさいなと、主人は読みとばす。

「右の如く謡曲会、俳句会、短歌会、新体詩会等、会の連発にて当分の間は、のべつ幕無しに出勤致し候《そろ》為め、不得已《やむをえず》賀状を以て拝趨《はいすう》の礼に易《か》え候段《そろだん》不悪《あしからず》御宥恕《ごゆうじょ》被下度候《くだされたくそろ》。……」

別段くるにも及ばんさと、主人は手紙に返事をする。

「今度御光来の節は久し振りにて晩餐でも供し度《たき》心得に御座|候《そろ》。寒厨《かんちゅう》何の珍味も無之候《これなくそうら》えども、せめてはトチメンボ でもと只今より心掛|居候《おりそろ》。……」

まだトチメンボ を振り廻している。失敬なと主人はちょっとむっとする。

「然《しか》しトチメンボ は近頃材料払底の為め、ことに依ると間に合い兼候《かねそろ》も計りがたきにつき、其節は孔雀《くじゃく》の舌《した》でも御風味に入れ可申候《もうすべくそろ》。……」

両天秤《りょうてんびん》をかけたなと主人は、あとが読みたくなる。

「御承知の通り孔雀一羽につき、舌肉の分量は小指の半《なか》ばにも足らぬ程故|健啖《けんたん》なる大兄の胃嚢《いぶくろ》を充《み》たす為には……」

うそをつけと主人は打ち遣《や》ったようにいう。

「是非共二三十羽の孔雀を捕獲致さざる可《べか》らずと存候《ぞんじそろ》。然る所孔雀は動物園、浅草花屋敷等には、ちらほら見受け候えども、普通の鳥屋|抔《など》には一向《いっこう》見当り不申《もうさず》、苦心《くしん》此事《このこと》に御座|候《そろ》。……」

独りで勝手に苦心しているのじゃないかと主人は毫《ごう》も感謝の意を表しない。

「此孔雀の舌の料理は往昔《おうせき》羅馬《ロ マ》全盛の砌《みぎ》り、一時非常に流行致し候《そろ》ものにて、豪奢《ごうしゃ》風流の極度と平生よりひそかに食指《しょくし》を動かし居候《おりそろ》次第|御諒察《ごりょうさつ》可被下候《くださるべくそろ》。……」

何が御諒察だ、馬鹿なと主人はすこぶる冷淡である。

「降《くだ》って十六七世紀の頃迄は全欧を通じて孔雀は宴席に欠くべからざる好味と相成居候《あいなりおりそろ》。レスタ 伯がエリザベス女皇《じょこう》をケニルウォ スに招待致し候節《そろせつ》も慥《たし》か孔雀を使用致し候様《そろよう》記憶|致候《いたしそろ》。有名なるレンブラントが画《えが》き候《そろ》饗宴の図にも孔雀が尾を広げたる儘《まま》卓上に横《よこた》わり居り候《そろ》……」

孔雀の料理史をかくくらいなら、そんなに多忙でもなさそうだと不平をこぼす。

「とにかく近頃の如く御馳走の食べ続けにては、さすがの小生も遠からぬうちに大兄の如く胃弱と相成《あいな》るは必定《ひつじょう》……」

大兄のごとくは余計だ。何も僕を胃弱の標準にしなくても済むと主人はつぶやいた。

「歴史家の説によれば羅馬人《ロ マじん》は日に二度三度も宴会を開き候由《そろよし》。日に二度も三度も方丈《ほうじょう》の食饌《しょくせん》に就き候えば如何なる健胃の人にても消化機能に不調を醸《かも》すべく、従って自然は大兄の如く……」

また大兄のごとくか、失敬な。

「然《しか》るに贅沢《ぜいたく》と衛生とを両立せしめんと研究を尽したる彼等は不相当に多量の滋味を貪《むさぼ》ると同時に胃腸を常態に保持するの必要を認め、ここに一の秘法を案出致し候《そろ》……」

はてねと主人は急に熱心になる。

「彼等は食後必ず入浴|致候《いたしそろ》。入浴後一種の方法によりて浴前《よくぜん》に嚥下《えんか》せるものを悉《ことごと》く嘔吐《おうと》し、胃内を掃除致し候《そろ》。胃内廓清《いないかくせい》の功を奏したる後《のち》又食卓に就《つ》き、飽《あ》く迄珍味を風好《ふうこう》し、風好し了《おわ》れば又湯に入りて之《これ》を吐出《としゅつ》致候《いたしそろ》。かくの如くすれば好物は貪《むさ》ぼり次第貪り候《そうろう》も毫《ごう》も内臓の諸機関に障害を生ぜず、一挙両得とは此等の事を可申《もうすべき》かと愚考|致候《いたしそろ》……」

なるほど一挙両得に相違ない。主人は羨《うらや》ましそうな顔をする。

「廿世紀の今日《こんにち》交通の頻繁《ひんぱん》、宴会の増加は申す迄もなく、軍国多事征露の第二年とも相成|候折柄《そろおりから》、吾人戦勝国の国民は、是非共|羅馬《ロ マ》人に傚《なら》って此入浴嘔吐の術を研究せざるべからざる機会に到着致し候《そろ》事と自信|致候《いたしそろ》。左《さ》もなくば切角《せっかく》の大国民も近き将来に於て悉《ことごと》く大兄の如く胃病患者と相成る事と窃《ひそ》かに心痛|罷《まか》りあり候《そろ》……」

また大兄のごとくか、癪《しゃく》に障《さわ》る男だと主人が思う。

「此際吾人西洋の事情に通ずる者が古史伝説を考究し、既に廃絶せる秘法を発見し、之を明治の社会に応用致し候わば所謂《いわば》禍《わざわい》を未萌《みほう》に防ぐの功徳《くどく》にも相成り平素|逸楽《いつらく》を擅《ほしいまま》に致し候《そろ》御恩返も相立ち可申《もうすべく》と存候《ぞんじそろ》……」

何だか妙だなと首を捻《ひね》る。

「依《よっ》て此間|中《じゅう》よりギボン、モンセン、スミス等諸家の著述を渉猟《しょうりょう》致し居候《おりそうら》えども未《いま》だに発見の端緒《たんしょ》をも見出《みいだ》し得ざるは残念の至に存候《ぞんじそろ》。然し御存じの如く小生は一度思い立ち候事《そろこと》は成功するまでは決して中絶|仕《つかまつ》らざる性質に候えば嘔吐方《おうとほう》を再興致し候《そろ》も遠からぬうちと信じ居り候《そろ》次第。右は発見次第御報道|可仕候《つかまつるべくそろ》につき、左様御承知|可被下候《くださるべくそろ》。就《つい》てはさきに申上|候《そろ》トチメンボ 及び孔雀の舌の御馳走も可相成《あいなるべく》は右発見後に致し度《たく》、左《さ》すれば小生の都合は勿論《もちろん》、既に胃弱に悩み居らるる大兄の為にも御便宜《ごべんぎ》かと存候《ぞんじそろ》草々不備」

何だとうとう担《かつ》がれたのか、あまり書き方が真面目だものだからつい仕舞《しまい》まで本気にして読んでいた。新年|匆々《そうそう》こんな悪戯《いたずら》をやる迷亭はよっぽどひま人だなあと主人は笑いながら云った。

 

それから四五日は別段の事もなく過ぎ去った。白磁《はくじ》の水仙がだんだん凋《しぼ》んで、青軸《あおじく》の梅が瓶《びん》ながらだんだん開きかかるのを眺め暮らしてばかりいてもつまらんと思って、一両度《いちりょうど》三毛子を訪問して見たが逢《あ》われない。最初は留守だと思ったが、二|返目《へんめ》には病気で寝ているという事が知れた。障子の中で例の御師匠さんと下女が話しをしているのを手水鉢《ちょうずばち》の葉蘭の影に隠れて聞いているとこうであった。

「三毛は御飯をたべるかい」「いいえ今朝からまだ何《なん》にも食べません、あったかにして御火燵《おこた》に寝かしておきました」何だか猫らしくない。まるで人間の取扱を受けている。

一方では自分の境遇と比べて見て羨《うらや》ましくもあるが、一方では己《おの》が愛している猫がかくまで厚遇を受けていると思えば嬉しくもある。

「どうも困るね、御飯をたべないと、身体《からだ》が疲れるばかりだからね」「そうでございますとも、私共でさえ一日ごぜんをいただかないと、明くる日はとても働けませんもの」

下女は自分より猫の方が上等な動物であるような返事をする。実際この家《うち》では下女より猫の方が大切かも知れない。

「御医者様へ連れて行ったのかい」「ええ、あの御医者はよっぽど妙でございますよ。私が三毛をだいて診察場へ行くと、風邪《かぜ》でも引いたのかって私の脈《みゃく》をとろうとするんでしょう。いえ病人は私ではございません。これですって三毛を膝の上へ直したら、にやにや笑いながら、猫の病気はわしにも分らん、抛《ほう》っておいたら今に癒《なお》るだろうってんですもの、あんまり苛《ひど》いじゃございませんか。腹が立ったから、それじゃ見ていただかなくってもようございますこれでも大事の猫なんですって、三毛を懐《ふところ》へ入れてさっさと帰って参りました」「ほんにねえ」

「ほんにねえ」は到底《とうてい》吾輩のうちなどで聞かれる言葉ではない。やはり天璋院《てんしょういん》様の何とかの何とかでなくては使えない、はなはだ雅《が》であると感心した。

「何だかしくしく云うようだが……」「ええきっと風邪を引いて咽喉《のど》が痛むんでございますよ。風邪を引くと、どなたでも御咳《おせき》が出ますからね……」

天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿|叮嚀《ていねい》な言葉を使う。

「それに近頃は肺病とか云うものが出来てのう」「ほんとにこの頃のように肺病だのペストだのって新しい病気ばかり殖《ふ》えた日にゃ油断も隙もなりゃしませんのでございますよ」「旧幕時代に無い者に碌《ろく》な者はないから御前も気をつけないといかんよ」「そうでございましょうかねえ」

下女は大《おおい》に感動している。

「風邪《かぜ》を引くといってもあまり出あるきもしないようだったに……」「いえね、あなた、それが近頃は悪い友達が出来ましてね」

下女は国事の秘密でも語る時のように大得意である。

「悪い友達?」「ええあの表通りの教師の所《とこ》にいる薄ぎたない雄猫《おねこ》でございますよ」「教師と云うのは、あの毎朝無作法な声を出す人かえ」「ええ顔を洗うたんびに鵝鳥《がちょう》が絞《し》め殺されるような声を出す人でござんす」

鵝鳥が絞め殺されるような声はうまい形容である。吾輩の主人は毎朝風呂場で含嗽《うがい》をやる時、楊枝《ようじ》で咽喉《のど》をつっ突いて妙な声を無遠慮に出す癖がある。機嫌の悪い時はやけにがあがあやる、機嫌の好い時は元気づいてなおがあがあやる。つまり機嫌のいい時も悪い時も休みなく勢よくがあがあやる。細君の話しではここへ引越す前まではこんな癖はなかったそうだが、ある時ふとやり出してから今日《きょう》まで一日もやめた事がないという。ちょっと厄介な癖であるが、なぜこんな事を根気よく続けているのか吾等猫などには到底《とうてい》想像もつかん。それもまず善いとして「薄ぎたない猫」とは随分酷評をやるものだとなお耳を立ててあとを聞く。

「あんな声を出して何の呪《まじな》いになるか知らん。御維新前《ごいっしんまえ》は中間《ちゅうげん》でも草履《ぞうり》取りでも相応の作法は心得たもので、屋敷町などで、あんな顔の洗い方をするものは一人もおらなかったよ」「そうでございましょうともねえ」

下女は無暗《むやみ》に感服しては、無暗にねえを使用する。

「あんな主人を持っている猫だから、どうせ野良猫《のらねこ》さ、今度来たら少し叩《たた》いておやり」「叩いてやりますとも、三毛の病気になったのも全くあいつの御蔭に相違ございませんもの、きっと讐《かたき》をとってやります」

飛んだ冤罪《えんざい》を蒙《こうむ》ったものだ。こいつは滅多《めった》に近《ち》か寄《よ》れないと三毛子にはとうとう逢わずに帰った。

帰って見ると主人は書斎の中《うち》で何か沈吟《ちんぎん》の体《てい》で筆を執《と》っている。二絃琴《にげんきん》の御師匠さんの所《とこ》で聞いた評判を話したら、さぞ怒《おこ》るだろうが、知らぬが仏とやらで、うんうん云いながら神聖な詩人になりすましている。

ところへ当分多忙で行かれないと云って、わざわざ年始状をよこした迷亭君が飄然《ひょうぜん》とやって来る。「何か新体詩でも作っているのかね。面白いのが出来たら見せたまえ」と云う。「うん、ちょっとうまい文章だと思ったから今翻訳して見ようと思ってね」と主人は重たそうに口を開く。「文章? 誰《だ》れの文章だい」「誰れのか分らんよ」「無名氏か、無名氏の作にも随分善いのがあるからなかなか馬鹿に出来ない。全体どこにあったのか」と問う。「第二読本」と主人は落ちつきはらって答える。「第二読本? 第二読本がどうしたんだ」「僕の翻訳している名文と云うのは第二読本の中《うち》にあると云う事さ」「冗談《じょうだん》じゃない。孔雀の舌の讐《かたき》を際《きわ》どいところで討とうと云う寸法なんだろう」「僕は君のような法螺吹《ほらふ》きとは違うさ」と口髯《くちひげ》を捻《ひね》る。泰然たるものだ。「昔《むか》しある人が山陽に、先生近頃名文はござらぬかといったら、山陽が馬子《まご》の書いた借金の催促状を示して近来の名文はまずこれでしょうと云ったという話があるから、君の審美眼も存外たしかかも知れん。どれ読んで見給え、僕が批評してやるから」と迷亭先生は審美眼の本家《ほんけ》のような事を云う。主人は禅坊主が大燈国師《だいとうこくし》の遺誡《ゆいかい》を読むような声を出して読み始める。「巨人《きょじん》、引力《いんりょく》」「何だいその巨人引力と云うのは」「巨人引力と云う題さ」「妙な題だな、僕には意味がわからんね」「引力と云う名を持っている巨人というつもりさ」「少し無理なつもりだが表題だからまず負けておくとしよう。それから早々《そうそう》本文を読むさ、君は声が善いからなかなか面白い」「雑《ま》ぜかえしてはいかんよ」と予《あらか》じめ念を押してまた読み始める。

ケ トは窓から外面《そと》を眺《なが》める。小児《しょうに》が球《たま》を投げて遊んでいる。彼等は高く球を空中に擲《なげう》つ。球は上へ上へとのぼる。しばらくすると落ちて来る。彼等はまた球を高く擲つ。再び三度。擲つたびに球は落ちてくる。なぜ落ちるのか、なぜ上へ上へとのみのぼらぬかとケ トが聞く。「巨人が地中に住む故に」と母が答える。「彼は巨人引力である。彼は強い。彼は万物を己《おの》れの方へと引く。彼は家屋を地上に引く。引かねば飛んでしまう。小児も飛んでしまう。葉が落ちるのを見たろう。あれは巨人引力が呼ぶのである。本を落す事があろう。巨人引力が来いというからである。球が空にあがる。巨人引力は呼ぶ。呼ぶと落ちてくる」

「それぎりかい」「むむ、甘《うま》いじゃないか」「いやこれは恐れ入った。飛んだところでトチメンボ の御返礼に預《あずか》った」「御返礼でもなんでもないさ、実際うまいから訳して見たのさ、君はそう思わんかね」と金縁の眼鏡の奥を見る。「どうも驚ろいたね。君にしてこの伎倆《ぎりょう》あらんとは、全く此度《こんど》という今度《こんど》は担《かつ》がれたよ、降参降参」と一人で承知して一人で喋舌《しゃべ》る。主人には一向《いっこう》通じない。「何も君を降参させる考えはないさ。ただ面白い文章だと思ったから訳して見たばかりさ」「いや実に面白い。そう来なくっちゃ本ものでない。凄《すご》いものだ。恐縮だ」「そんなに恐縮するには及ばん。僕も近頃は水彩画をやめたから、その代りに文章でもやろうと思ってね」「どうして遠近《えんきん》無差別《むさべつ》黒白《こくびゃく》平等《びょうどう》の水彩画の比じゃない。感服の至りだよ」「そうほめてくれると僕も乗り気になる」と主人はあくまでも疳違《かんちが》いをしている。

ところへ寒月《かんげつ》君が先日は失礼しましたと這入《はい》って来る。「いや失敬。今大変な名文を拝聴してトチメンボ の亡魂を退治《たいじ》られたところで」と迷亭先生は訳のわからぬ事をほのめかす。「はあ、そうですか」とこれも訳の分らぬ挨拶をする。主人だけは左《さ》のみ浮かれた気色《けしき》もない。「先日は君の紹介で越智東風《おちとうふう》と云う人が来たよ」「ああ上《あが》りましたか、あの越智東風《おちこち》と云う男は至って正直な男ですが少し変っているところがあるので、あるいは御迷惑かと思いましたが、是非紹介してくれというものですから……」「別に迷惑の事もないがね……」「こちらへ上《あが》っても自分の姓名のことについて何か弁じて行きゃしませんか」「いいえ、そんな話もなかったようだ」「そうですか、どこへ行っても初対面の人には自分の名前の講釈《こうしゃく》をするのが癖でしてね」「どんな講釈をするんだい」と事あれかしと待ち構えた迷亭君は口を入れる。「あの東風《こち》と云うのを音《おん》で読まれると大変気にするので」「はてね」と迷亭先生は金唐皮《きんからかわ》の煙草入《たばこいれ》から煙草をつまみ出す。「私《わたく》しの名は越智東風《おちとうふう》ではありません、越智《おち》こちですと必ず断りますよ」「妙だね」と雲井《くもい》を腹の底まで呑《の》み込む。「それが全く文学熱から来たので、こちと読むと遠近と云う成語《せいご》になる、のみならずその姓名が韻《いん》を踏んでいると云うのが得意なんです。それだから東風《こち》を音《おん》で読むと僕がせっかくの苦心を人が買ってくれないといって不平を云うのです」「こりゃなるほど変ってる」と迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔《あな》まで吐き返す。途中で煙が戸迷《とまど》いをして咽喉《のど》の出口へ引きかかる。先生は煙管《きせる》を握ってごほんごほんと咽《むせ》び返る。「先日来た時は朗読会で船頭になって女学生に笑われたといっていたよ」と主人は笑いながら云う。「うむそれそれ」と迷亭先生が煙管《きせる》で膝頭《ひざがしら》を叩《たた》く。吾輩は険呑《けんのん》になったから少し傍《そば》を離れる。「その朗読会さ。せんだってトチメンボ を御馳走した時にね。その話しが出たよ。何でも第二回には知名の文士を招待して大会をやるつもりだから、先生にも是非御臨席を願いたいって。それから僕が今度も近松の世話物をやるつもりかいと聞くと、いえこの次はずっと新しい者を撰《えら》んで金色夜叉《こんじきやしゃ》にしましたと云うから、君にゃ何の役が当ってるかと聞いたら私は御宮《おみや》ですといったのさ。東風《とうふう》の御宮は面白かろう。僕は是非出席して喝采《かっさい》しようと思ってるよ」「面白いでしょう」と寒月君が妙な笑い方をする。「しかしあの男はどこまでも誠実で軽薄なところがないから好い。迷亭などとは大違いだ」と主人はアンドレア・デル・サルトと孔雀《くじゃく》の舌とトチメンボ の復讐《かたき》を一度にとる。迷亭君は気にも留めない様子で「どうせ僕などは行徳《ぎょうとく》の俎《まないた》と云う格だからなあ」と笑う。「まずそんなところだろう」と主人が云う。実は行徳の俎と云う語を主人は解《かい》さないのであるが、さすが永年教師をして胡魔化《ごまか》しつけているものだから、こんな時には教場の経験を社交上にも応用するのである。「行徳の俎というのは何の事ですか」と寒月が真率《しんそつ》に聞く。主人は床の方を見て「あの水仙は暮に僕が風呂の帰りがけに買って来て挿《さ》したのだが、よく持つじゃないか」と行徳の俎を無理にねじ伏せる。「暮といえば、去年の暮に僕は実に不思議な経験をしたよ」と迷亭が煙管《きせる》を大神楽《だいかぐら》のごとく指の尖《さき》で廻わす。「どんな経験か、聞かし玉《たま》え」と主人は行徳の俎を遠く後《うしろ》に見捨てた気で、ほっと息をつく。迷亭先生の不思議な経験というのを聞くと左《さ》のごとくである。

「たしか暮の二十七日と記憶しているがね。例の東風《とうふう》から参堂の上是非文芸上の御高話を伺いたいから御在宿を願うと云う先《さ》き触《ぶ》れがあったので、朝から心待ちに待っていると先生なかなか来ないやね。昼飯を食ってスト ブの前でバリ ・ペ ンの滑稽物《こっけいもの》を読んでいるところへ静岡の母から手紙が来たから見ると、年寄だけにいつまでも僕を小供のように思ってね。寒中は夜間外出をするなとか、冷水浴もいいがスト ブを焚《た》いて室《へや》を煖《あたた》かにしてやらないと風邪《かぜ》を引くとかいろいろの注意があるのさ。なるほど親はありがたいものだ、他人ではとてもこうはいかないと、呑気《のんき》な僕もその時だけは大《おおい》に感動した。それにつけても、こんなにのらくらしていては勿体《もったい》ない。何か大著述でもして家名を揚げなくてはならん。母の生きているうちに天下をして明治の文壇に迷亭先生あるを知らしめたいと云う気になった。それからなお読んで行くと御前なんぞは実に仕合せ者だ。露西亜《ロシア》と戦争が始まって若い人達は大変な辛苦《しんく》をして御国《みくに》のために働らいているのに節季師走《せっきしわす》でもお正月のように気楽に遊んでいると書いてある。――僕はこれでも母の思ってるように遊んじゃいないやね――そのあとへ以《もっ》て来て、僕の小学校時代の朋友《ほうゆう》で今度の戦争に出て死んだり負傷したものの名前が列挙してあるのさ。その名前を一々読んだ時には何だか世の中が味気《あじき》なくなって人間もつまらないと云う気が起ったよ。一番|仕舞《しまい》にね。私《わた》しも取る年に候えば初春《はつはる》の御雑煮《おぞうに》を祝い候も今度限りかと……何だか心細い事が書いてあるんで、なおのこと気がくさくさしてしまって早く東風《とうふう》が来れば好いと思ったが、先生どうしても来ない。そのうちとうとう晩飯になったから、母へ返事でも書こうと思ってちょいと十二三行かいた。母の手紙は六尺以上もあるのだが僕にはとてもそんな芸は出来んから、いつでも十行内外で御免|蒙《こうむ》る事に極《き》めてあるのさ。すると一日動かずにおったものだから、胃の具合が妙で苦しい。東風が来たら待たせておけと云う気になって、郵便を入れながら散歩に出掛けたと思い給え。いつになく富士見町の方へは足が向かないで土手《どて》三番町《さんばんちょう》の方へ我れ知らず出てしまった。ちょうどその晩は少し曇って、から風が御濠《おほり》の向《むこ》うから吹き付ける、非常に寒い。神楽坂《かぐらざか》の方から汽車がヒュ と鳴って土手下を通り過ぎる。大変|淋《さみ》しい感じがする。暮、戦死、老衰、無常迅速などと云う奴が頭の中をぐるぐる馳《か》け廻《めぐ》る。よく人が首を縊《くく》ると云うがこんな時にふと誘われて死ぬ気になるのじゃないかと思い出す。ちょいと首を上げて土手の上を見ると、いつの間《ま》にか例の松の真下《ました》に来ているのさ」

「例の松た、何だい」と主人が断句《だんく》を投げ入れる。

「首懸《くびかけ》の松さ」と迷亭は領《えり》を縮める。

「首懸の松は鴻《こう》の台《だい》でしょう」寒月が波紋《はもん》をひろげる。

「鴻《こう》の台《だい》のは鐘懸《かねかけ》の松で、土手三番町のは首懸《くびかけ》の松さ。なぜこう云う名が付いたかと云うと、昔《むか》しからの言い伝えで誰でもこの松の下へ来ると首が縊《くく》りたくなる。土手の上に松は何十本となくあるが、そら首縊《くびくく》りだと来て見ると必ずこの松へぶら下がっている。年に二三|返《べん》はきっとぶら下がっている。どうしても他《ほか》の松では死ぬ気にならん。見ると、うまい具合に枝が往来の方へ横に出ている。ああ好い枝振りだ。あのままにしておくのは惜しいものだ。どうかしてあすこの所へ人間を下げて見たい、誰か来ないかしらと、四辺《あたり》を見渡すと生憎《あいにく》誰も来ない。仕方がない、自分で下がろうか知らん。いやいや自分が下がっては命がない、危《あぶ》ないからよそう。しかし昔の希臘人《ギリシャじん》は宴会の席で首縊《くびくく》りの真似をして余興を添えたと云う話しがある。一人が台の上へ登って縄の結び目へ首を入れる途端に他《ほか》のものが台を蹴返す。首を入れた当人は台を引かれると同時に縄をゆるめて飛び下りるという趣向《しゅこう》である。果してそれが事実なら別段恐るるにも及ばん、僕も一つ試みようと枝へ手を懸けて見ると好い具合に撓《しわ》る。撓り按排《あんばい》が実に美的である。首がかかってふわふわするところを想像して見ると嬉しくてたまらん。是非やる事にしようと思ったが、もし東風《とうふう》が来て待っていると気の毒だと考え出した。それではまず東風《とうふう》に逢《あ》って約束通り話しをして、それから出直そうと云う気になってついにうちへ帰ったのさ」

「それで市《いち》が栄えたのかい」と主人が聞く。

「面白いですな」と寒月がにやにやしながら云う。

「うちへ帰って見ると東風は来ていない。しかし今日《こんにち》は無拠処《よんどころなき》差支《さしつか》えがあって出られぬ、いずれ永日《えいじつ》御面晤《ごめんご》を期すという端書《はがき》があったので、やっと安心して、これなら心置きなく首が縊《くく》れる嬉しいと思った。で早速下駄を引き懸けて、急ぎ足で元の所へ引き返して見る……」と云って主人と寒月の顔を見てすましている。

「見るとどうしたんだい」と主人は少し焦《じ》れる。

「いよいよ佳境に入りますね」と寒月は羽織の紐《ひも》をひねくる。

「見ると、もう誰か来て先へぶら下がっている。たった一足違いでねえ君、残念な事をしたよ。考えると何でもその時は死神《しにがみ》に取り着かれたんだね。ゼ ムスなどに云わせると副意識下の幽冥界《ゆうめいかい》と僕が存在している現実界が一種の因果法によって互に感応《かんのう》したんだろう。実に不思議な事があるものじゃないか」迷亭はすまし返っている。

主人はまたやられたと思いながら何も云わずに空也餅《くうやもち》を頬張《ほおば》って口をもごもご云わしている。

寒月は火鉢の灰を丁寧に掻《か》き馴《な》らして、俯向《うつむ》いてにやにや笑っていたが、やがて口を開く。極めて静かな調子である。

「なるほど伺って見ると不思議な事でちょっと有りそうにも思われませんが、私などは自分でやはり似たような経験をつい近頃したものですから、少しも疑がう気になりません」

「おや君も首を縊《くく》りたくなったのかい」

「いえ私のは首じゃないんで。これもちょうど明ければ昨年の暮の事でしかも先生と同日同刻くらいに起った出来事ですからなおさら不思議に思われます」

「こりゃ面白い」と迷亭も空也餅を頬張る。

「その日は向島の知人の家《うち》で忘年会|兼《けん》合奏会がありまして、私もそれへヴァイオリンを携《たずさ》えて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集ってなかなか盛会で、近来の快事と思うくらいに万事が整っていました。晩餐《ばんさん》もすみ合奏もすんで四方《よも》の話しが出て時刻も大分《だいぶ》遅くなったから、もう暇乞《いとまご》いをして帰ろうかと思っていますと、某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きますので、実はその両三日前《りょうさんにちまえ》に逢った時は平常の通りどこも悪いようには見受けませんでしたから、私も驚ろいて精《くわ》しく様子を聞いて見ますと、私《わたく》しの逢ったその晩から急に発熱して、いろいろな譫語《うわごと》を絶間なく口走《くちばし》るそうで、それだけなら宜《い》いですがその譫語のうちに私の名が時々出て来るというのです」

主人は無論、迷亭先生も「御安《おやす》くないね」などという月並《つきなみ》は云わず、静粛に謹聴している。

「医者を呼んで見てもらうと、何だか病名はわからんが、何しろ熱が劇《はげ》しいので脳を犯しているから、もし睡眠剤《すいみんざい》が思うように功を奏しないと危険であると云う診断だそうで私はそれを聞くや否や一種いやな感じが起ったのです。ちょうど夢でうなされる時のような重くるしい感じで周囲の空気が急に固形体になって四方から吾が身をしめつけるごとく思われました。帰り道にもその事ばかりが頭の中にあって苦しくてたまらない。あの奇麗な、あの快活なあの健康な○○子さんが……」

「ちょっと失敬だが待ってくれ給え。さっきから伺っていると○○子さんと云うのが二|返《へん》ばかり聞えるようだが、もし差支《さしつか》えがなければ承《うけたま》わりたいね、君」と主人を顧《かえり》みると、主人も「うむ」と生返事《なまへんじ》をする。

「いやそれだけは当人の迷惑になるかも知れませんから廃《よ》しましょう」

「すべて曖々然《あいあいぜん》として昧々然《まいまいぜん》たるかたで行くつもりかね」

「冷笑なさってはいけません、極真面目《ごくまじめ》な話しなんですから……とにかくあの婦人が急にそんな病気になった事を考えると、実に飛花落葉《ひからくよう》の感慨で胸が一杯になって、総身《そうしん》の活気が一度にストライキを起したように元気がにわかに滅入《めい》ってしまいまして、ただ蹌々《そうそう》として踉々《ろうろう》という形《かた》ちで吾妻橋《あずまばし》へきかかったのです。欄干に倚《よ》って下を見ると満潮《まんちょう》か干潮《かんちょう》か分りませんが、黒い水がかたまってただ動いているように見えます。花川戸《はなかわど》の方から人力車が一台|馳《か》けて来て橋の上を通りました。その提灯《ちょうちん》の火を見送っていると、だんだん小くなって札幌《さっぽろ》ビ ルの処で消えました。私はまた水を見る。すると遥《はる》かの川上の方で私の名を呼ぶ声が聞えるのです。はてな今時分人に呼ばれる訳はないが誰だろうと水の面《おもて》をすかして見ましたが暗くて何《なん》にも分りません。気のせいに違いない早々《そうそう》帰ろうと思って一足二足あるき出すと、また微《かす》かな声で遠くから私の名を呼ぶのです。私はまた立ち留って耳を立てて聞きました。三度目に呼ばれた時には欄干に捕《つか》まっていながら膝頭《ひざがしら》ががくがく悸《ふる》え出したのです。その声は遠くの方か、川の底から出るようですが紛《まぎ》れもない○○子の声なんでしょう。私は覚えず「は い」と返事をしたのです。その返事が大きかったものですから静かな水に響いて、自分で自分の声に驚かされて、はっと周囲を見渡しました。人も犬も月も何《なん》にも見えません。その時に私はこの「夜《よる》」の中に巻き込まれて、あの声の出る所へ行きたいと云う気がむらむらと起ったのです。○○子の声がまた苦しそうに、訴えるように、救を求めるように私の耳を刺し通したので、今度は「今|直《すぐ》に行きます」と答えて欄干から半身を出して黒い水を眺めました。どうも私を呼ぶ声が浪《なみ》の下から無理に洩《も》れて来るように思われましてね。この水の下だなと思いながら私はとうとう欄干の上に乗りましたよ。今度呼んだら飛び込もうと決心して流を見つめているとまた憐れな声が糸のように浮いて来る。ここだと思って力を込めて一反《いったん》飛び上がっておいて、そして小石か何ぞのように未練なく落ちてしまいました」

「とうとう飛び込んだのかい」と主人が眼をぱちつかせて問う。

「そこまで行こうとは思わなかった」と迷亭が自分の鼻の頭をちょいとつまむ。

「飛び込んだ後《あと》は気が遠くなって、しばらくは夢中でした。やがて眼がさめて見ると寒くはあるが、どこも濡《ぬ》れた所《とこ》も何もない、水を飲んだような感じもしない。たしかに飛び込んだはずだが実に不思議だ。こりゃ変だと気が付いてそこいらを見渡すと驚きましたね。水の中へ飛び込んだつもりでいたところが、つい間違って橋の真中へ飛び下りたので、その時は実に残念でした。前と後《うし》ろの間違だけであの声の出る所へ行く事が出来なかったのです」寒月はにやにや笑いながら例のごとく羽織の紐《ひも》を荷厄介《にやっかい》にしている。

「ハハハハこれは面白い。僕の経験と善く似ているところが奇だ。やはりゼ ムス教授の材料になるね。人間の感応と云う題で写生文にしたらきっと文壇を驚かすよ。……そしてその○○子さんの病気はどうなったかね」と迷亭先生が追窮する。

「二三日前《にさんちまえ》年始に行きましたら、門の内で下女と羽根を突いていましたから病気は全快したものと見えます」

主人は最前から沈思の体《てい》であったが、この時ようやく口を開いて、「僕にもある」と負けぬ気を出す。

「あるって、何があるんだい」迷亭の眼中に主人などは無論ない。

「僕のも去年の暮の事だ」

「みんな去年の暮は暗合《あんごう》で妙ですな」と寒月が笑う。欠けた前歯のうちに空也餅《くうやもち》が着いている。

「やはり同日同刻じゃないか」と迷亭がまぜ返す。

「いや日は違うようだ。何でも二十日《はつか》頃だよ。細君が御歳暮の代りに摂津大掾《せっつだいじょう》を聞かしてくれろと云うから、連れて行ってやらん事もないが今日の語り物は何だと聞いたら、細君が新聞を参考して鰻谷《うなぎだに》だと云うのさ。鰻谷は嫌いだから今日はよそうとその日はやめにした。翌日になると細君がまた新聞を持って来て今日は堀川《ほりかわ》だからいいでしょうと云う。堀川は三味線もので賑やかなばかりで実《み》がないからよそうと云うと、細君は不平な顔をして引き下がった。その翌日になると細君が云うには今日は三十三間堂です、私は是非|摂津《せっつ》の三十三間堂が聞きたい。あなたは三十三間堂も御嫌いか知らないが、私に聞かせるのだからいっしょに行って下すっても宜《い》いでしょうと手詰《てづめ》の談判をする。御前がそんなに行きたいなら行っても宜《よ》ろしい、しかし一世一代と云うので大変な大入だから到底《とうてい》突懸《つっか》けに行ったって這入《はい》れる気遣《きづか》いはない。元来ああ云う場所へ行くには茶屋と云うものが在《あ》ってそれと交渉して相当の席を予約するのが正当の手続きだから、それを踏まないで常規を脱した事をするのはよくない、残念だが今日はやめようと云うと、細君は凄《すご》い眼付をして、私は女ですからそんなむずかしい手続きなんか知りませんが、大原のお母あさんも、鈴木の君代さんも正当の手続きを踏まないで立派に聞いて来たんですから、いくらあなたが教師だからって、そう手数《てすう》のかかる見物をしないでもすみましょう、あなたはあんまりだと泣くような声を出す。それじゃ駄目でもまあ行く事にしよう。晩飯をくって電車で行こうと降参をすると、行くなら四時までに向うへ着くようにしなくっちゃいけません、そんなぐずぐずしてはいられませんと急に勢がいい。なぜ四時までに行かなくては駄目なんだと聞き返すと、そのくらい早く行って場所をとらなくちゃ這入れないからですと鈴木の君代さんから教えられた通りを述べる。それじゃ四時を過ぎればもう駄目なんだねと念を押して見たら、ええ駄目ですともと答える。すると君不思議な事にはその時から急に悪寒《おかん》がし出してね」

「奥さんがですか」と寒月が聞く。

「なに細君はぴんぴんしていらあね。僕がさ。何だか穴の明いた風船玉のように一度に萎縮《いしゅく》する感じが起ると思うと、もう眼がぐらぐらして動けなくなった」

「急病だね」と迷亭が註釈を加える。

「ああ困った事になった。細君が年に一度の願だから是非|叶《かな》えてやりたい。平生《いつも》叱りつけたり、口を聞かなかったり、身上《しんしょう》の苦労をさせたり、小供の世話をさせたりするばかりで何一つ洒掃薪水《さいそうしんすい》の労に酬《むく》いた事はない。今日は幸い時間もある、嚢中《のうちゅう》には四五枚の堵物《とぶつ》もある。連れて行けば行かれる。細君も行きたいだろう、僕も連れて行ってやりたい。是非連れて行ってやりたいがこう悪寒がして眼がくらんでは電車へ乗るどころか、靴脱《くつぬぎ》へ降りる事も出来ない。ああ気の毒だ気の毒だと思うとなお悪寒がしてなお眼がくらんでくる。早く医者に見てもらって服薬でもしたら四時前には全快するだろうと、それから細君と相談をして甘木《あまき》医学士を迎いにやると生憎《あいにく》昨夜《ゆうべ》が当番でまだ大学から帰らない。二時頃には御帰りになりますから、帰り次第すぐ上げますと云う返事である。困ったなあ、今|杏仁水《きょうにんすい》でも飲めば四時前にはきっと癒《なお》るに極《きま》っているんだが、運の悪い時には何事も思うように行かんもので、たまさか妻君の喜ぶ笑顔を見て楽もうと云う予算も、がらりと外《はず》れそうになって来る。細君は恨《うら》めしい顔付をして、到底《とうてい》いらっしゃれませんかと聞く。行くよ必ず行くよ。四時までにはきっと直って見せるから安心しているがいい。早く顔でも洗って着物でも着換えて待っているがいい、と口では云ったようなものの胸中は無限の感慨である。悪寒はますます劇《はげ》しくなる、眼はいよいよぐらぐらする。もしや四時までに全快して約束を履行《りこう》する事が出来なかったら、気の狭い女の事だから何をするかも知れない。情《なさ》けない仕儀になって来た。どうしたら善かろう。万一の事を考えると今の内に有為転変《ういてんぺん》の理、生者必滅《しょうじゃひつめつ》の道を説き聞かして、もしもの変が起った時取り乱さないくらいの覚悟をさせるのも、夫《おっと》の妻《つま》に対する義務ではあるまいかと考え出した。僕は速《すみや》かに細君を書斎へ呼んだよ。呼んで御前は女だけれども many a slip 'twixt the cup and the lip と云う西洋の諺《ことわざ》くらいは心得ているだろうと聞くと、そんな横文字なんか誰が知るもんですか、あなたは人が英語を知らないのを御存じの癖にわざと英語を使って人にからかうのだから、宜《よろ》しゅうございます、どうせ英語なんかは出来ないんですから、そんなに英語が御好きなら、なぜ耶蘇学校《ヤソがっこう》の卒業生かなんかをお貰いなさらなかったんです。あなたくらい冷酷な人はありはしないと非常な権幕《けんまく》なんで、僕もせっかくの計画の腰を折られてしまった。君等にも弁解するが僕の英語は決して悪意で使った訳じゃない。全く妻《さい》を愛する至情から出たので、それを妻のように解釈されては僕も立つ瀬がない。それにさっきからの悪寒《おかん》と眩暈《めまい》で少し脳が乱れていたところへもって来て、早く有為転変、生者必滅の理を呑み込ませようと少し急《せ》き込んだものだから、つい細君の英語を知らないと云う事を忘れて、何の気も付かずに使ってしまった訳さ。考えるとこれは僕が悪《わ》るい、全く手落ちであった。この失敗で悪寒はますます強くなる。眼はいよいよぐらぐらする。妻君は命ぜられた通り風呂場へ行って両肌《もろはだ》を脱いで御化粧をして、箪笥《たんす》から着物を出して着換える。もういつでも出掛けられますと云う風情《ふぜい》で待ち構えている。僕は気が気でない。早く甘木君が来てくれれば善いがと思って時計を見るともう三時だ。四時にはもう一時間しかない。「そろそろ出掛けましょうか」と妻君が書斎の開き戸を明けて顔を出す。自分の妻《さい》を褒《ほ》めるのはおかしいようであるが、僕はこの時ほど細君を美しいと思った事はなかった。もろ肌を脱いで石鹸で磨《みが》き上げた皮膚がぴかついて黒縮緬《くろちりめん》の羽織と反映している。その顔が石鹸と摂津大掾《せっつだいじょう》を聞こうと云う希望との二つで、有形無形の両方面から輝やいて見える。どうしてもその希望を満足させて出掛けてやろうと云う気になる。それじゃ奮発して行こうかな、と一ぷくふかしているとようやく甘木先生が来た。うまい注文通りに行った。が容体をはなすと、甘木先生は僕の舌を眺《なが》めて、手を握って、胸を敲《たた》いて背を撫《な》でて、目縁《まぶち》を引っ繰り返して、頭蓋骨《ずがいこつ》をさすって、しばらく考え込んでいる。「どうも少し険呑《けんのん》のような気がしまして」と僕が云うと、先生は落ちついて、「いえ格別の事もございますまい」と云う。「あのちょっとくらい外出致しても差支《さしつか》えはございますまいね」と細君が聞く。「さよう」と先生はまた考え込む。「御気分さえ御悪くなければ……」「気分は悪いですよ」と僕がいう。「じゃともかくも頓服《とんぷく》と水薬《すいやく》を上げますから」「へえどうか、何だかちと、危《あぶ》ないようになりそうですな」「いや決して御心配になるほどの事じゃございません、神経を御起しになるといけませんよ」と先生が帰る。三時は三十分過ぎた。下女を薬取りにやる。細君の厳命で馳《か》け出して行って、馳《か》け出して返ってくる。四時十五分前である。四時にはまだ十五分ある。すると四時十五分前頃から、今まで何とも無かったのに、急に嘔気《はきけ》を催《もよ》おして来た。細君は水薬《すいやく》を茶碗へ注《つ》いで僕の前へ置いてくれたから、茶碗を取り上げて飲もうとすると、胃の中からげ と云う者が吶喊《とっかん》して出てくる。やむをえず茶碗を下へ置く。細君は「早く御飲《おの》みになったら宜《い》いでしょう」と逼《せま》る。早く飲んで早く出掛けなくては義理が悪い。思い切って飲んでしまおうとまた茶碗を唇へつけるとまたゲ が執念深《しゅうねんぶか》く妨害をする。飲もうとしては茶碗を置き、飲もうとしては茶碗を置いていると茶の間の柱時計がチンチンチンチンと四時を打った。さあ四時だ愚図愚図してはおられんと茶碗をまた取り上げると、不思議だねえ君、実に不思議とはこの事だろう、四時の音と共に吐《は》き気《け》がすっかり留まって水薬が何の苦なしに飲めたよ。それから四時十分頃になると、甘木先生の名医という事も始めて理解する事が出来たんだが、背中がぞくぞくするのも、眼がぐらぐらするのも夢のように消えて、当分立つ事も出来まいと思った病気がたちまち全快したのは嬉しかった」

 

「それから歌舞伎座へいっしょに行ったのかい」と迷亭が要領を得んと云う顔付をして聞く。

「行きたかったが四時を過ぎちゃ、這入《はい》れないと云う細君の意見なんだから仕方がない、やめにしたさ。もう十五分ばかり早く甘木先生が来てくれたら僕の義理も立つし、妻《さい》も満足したろうに、わずか十五分の差でね、実に残念な事をした。考え出すとあぶないところだったと今でも思うのさ」

語り了《おわ》った主人はようやく自分の義務をすましたような風をする。これで両人に対して顔が立つと云う気かも知れん。

寒月は例のごとく欠けた歯を出して笑いながら「それは残念でしたな」と云う。

迷亭はとぼけた顔をして「君のような親切な夫《おっと》を持った妻君は実に仕合せだな」と独《ひと》り言《ごと》のようにいう。障子の蔭でエヘンと云う細君の咳払《せきばら》いが聞える。

吾輩はおとなしく三人の話しを順番に聞いていたがおかしくも悲しくもなかった。人間というものは時間を潰《つぶ》すために強《し》いて口を運動させて、おかしくもない事を笑ったり、面白くもない事を嬉しがったりするほかに能もない者だと思った。吾輩の主人の我儘《わがまま》で偏狭《へんきょう》な事は前から承知していたが、平常《ふだん》は言葉数を使わないので何だか了解しかねる点があるように思われていた。その了解しかねる点に少しは恐しいと云う感じもあったが、今の話を聞いてから急に軽蔑《けいべつ》したくなった。かれはなぜ両人の話しを沈黙して聞いていられないのだろう。負けぬ気になって愚《ぐ》にもつかぬ駄弁を弄《ろう》すれば何の所得があるだろう。エピクテタスにそんな事をしろと書いてあるのか知らん。要するに主人も寒月も迷亭も太平《たいへい》の逸民《いつみん》で、彼等は糸瓜《へちま》のごとく風に吹かれて超然と澄《すま》し切っているようなものの、その実はやはり娑婆気《しゃばけ》もあり慾気《よくけ》もある。競争の念、勝とう勝とうの心は彼等が日常の談笑中にもちらちらとほのめいて、一歩進めば彼等が平常|罵倒《ばとう》している俗骨共《ぞっこつども》と一つ穴の動物になるのは猫より見て気の毒の至りである。ただその言語動作が普通の半可通《はんかつう》のごとく、文切《もんき》り形《がた》の厭味を帯びてないのはいささかの取《と》り得《え》でもあろう。

こう考えると急に三人の談話が面白くなくなったので、三毛子の様子でも見て来《き》ようかと二絃琴《にげんきん》の御師匠さんの庭口へ廻る。門松《かどまつ》注目飾《しめかざ》りはすでに取り払われて正月も早《は》や十日となったが、うららかな春日《はるび》は一流れの雲も見えぬ深き空より四海天下を一度に照らして、十坪に足らぬ庭の面《おも》も元日の曙光《しょこう》を受けた時より鮮《あざや》かな活気を呈している。椽側に座蒲団《ざぶとん》が一つあって人影も見えず、障子も立て切ってあるのは御師匠さんは湯にでも行ったのか知らん。御師匠さんは留守でも構わんが、三毛子は少しは宜《い》い方か、それが気掛りである。ひっそりして人の気合《けわい》もしないから、泥足のまま椽側《えんがわ》へ上《あが》って座蒲団の真中へ寝転《ねこ》ろんで見るといい心持ちだ。ついうとうととして、三毛子の事も忘れてうたた寝をしていると、急に障子のうちで人声がする。

「御苦労だった。出来たかえ」御師匠さんはやはり留守ではなかったのだ。

「はい遅くなりまして、仏師屋《ぶっしや》へ参りましたらちょうど出来上ったところだと申しまして」「どれお見せなさい。ああ奇麗に出来た、これで三毛も浮かばれましょう。金《きん》は剥《は》げる事はあるまいね」「ええ念を押しましたら上等を使ったからこれなら人間の位牌《いはい》よりも持つと申しておりました。……それから猫誉信女《みょうよしんにょ》の誉の字は崩《くず》した方が恰好《かっこう》がいいから少し劃《かく》を易《か》えたと申しました」「どれどれ早速御仏壇へ上げて御線香でもあげましょう」

三毛子は、どうかしたのかな、何だか様子が変だと蒲団の上へ立ち上る。チ ン南無猫誉信女《なむみょうよしんにょ》、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》南無阿弥陀仏と御師匠さんの声がする。

「御前も回向《えこう》をしておやりなさい」

チ ン南無猫誉信女南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と今度は下女の声がする。吾輩は急に動悸《どうき》がして来た。座蒲団の上に立ったまま、木彫《きぼり》の猫のように眼も動かさない。

「ほんとに残念な事を致しましたね。始めはちょいと風邪《かぜ》を引いたんでございましょうがねえ」「甘木さんが薬でも下さると、よかったかも知れないよ」「一体あの甘木さんが悪うございますよ、あんまり三毛を馬鹿にし過ぎまさあね」「そう人様《ひとさま》の事を悪く云うものではない。これも寿命《じゅみょう》だから」

三毛子も甘木先生に診察して貰ったものと見える。

「つまるところ表通りの教師のうちの野良猫《のらねこ》が無暗《むやみ》に誘い出したからだと、わたしは思うよ」「ええあの畜生《ちきしょう》が三毛のかたきでございますよ」

少し弁解したかったが、ここが我慢のしどころと唾《つば》を呑んで聞いている。話しはしばし途切《とぎ》れる。

「世の中は自由にならん者でのう。三毛のような器量よしは早死《はやじに》をするし。不器量な野良猫は達者でいたずらをしているし……」「その通りでございますよ。三毛のような可愛らしい猫は鐘と太鼓で探してあるいたって、二人《ふたり》とはおりませんからね」

二匹と云う代りに二《ふ》たりといった。下女の考えでは猫と人間とは同種族ものと思っているらしい。そう云えばこの下女の顔は吾等|猫属《ねこぞく》とはなはだ類似している。

「出来るものなら三毛の代りに……」「あの教師の所の野良《のら》が死ぬと御誂《おあつら》え通りに参ったんでございますがねえ」

御誂え通りになっては、ちと困る。死ぬと云う事はどんなものか、まだ経験した事がないから好きとも嫌いとも云えないが、先日あまり寒いので火消壺《ひけしつぼ》の中へもぐり込んでいたら、下女が吾輩がいるのも知らんで上から蓋《ふた》をした事があった。その時の苦しさは考えても恐しくなるほどであった。白君の説明によるとあの苦しみが今少し続くと死ぬのであるそうだ。三毛子の身代《みがわ》りになるのなら苦情もないが、あの苦しみを受けなくては死ぬ事が出来ないのなら、誰のためでも死にたくはない。

「しかし猫でも坊さんの御経を読んでもらったり、戒名《かいみょう》をこしらえてもらったのだから心残りはあるまい」「そうでございますとも、全く果報者《かほうもの》でございますよ。ただ慾を云うとあの坊さんの御経があまり軽少だったようでございますね」「少し短か過ぎたようだったから、大変御早うございますねと御尋ねをしたら、月桂寺《げっけいじ》さんは、ええ利目《ききめ》のあるところをちょいとやっておきました、なに猫だからあのくらいで充分浄土へ行かれますとおっしゃったよ」「あらまあ……しかしあの野良なんかは……」

吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。

「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」

吾輩はその後《ご》野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団《ふとん》をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震《みぶる》いをした。その後《ご》二絃琴《にげんきん》の御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向《ごえこう》を受けているだろう。

近頃は外出する勇気もない。何だか世間が慵《もの》うく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫《ぶしょうねこ》となった。主人が書斎にのみ閉じ籠《こも》っているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。

鼠《ねずみ》はまだ取った事がないので、一時は御三《おさん》から放逐論《ほうちくろん》さえ呈出《ていしゅつ》された事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの家《や》に起臥《きが》している。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼《かつがん》に対して敬服の意を表するに躊躇《ちゅうちょ》しないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎《ひだりじんごろう》が出て来て、吾輩の肖像を楼門《ろうもん》の柱に刻《きざ》み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描《えが》くようになったら、彼等|鈍瞎漢《どんかつかん》は始めて自己の不明を恥《は》ずるであろう。